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DIARY~その18~
2004年
8月2日(月)
夜、居間を閉め切ってクーラーをかけて、2年半ぶりに
バイオリンを弾きました。エチュード代わりに、「スコットランドの
釣鐘草変奏曲」、「カイザー」を少し、「トロイメライ」を、
弾いてみました。テクニック的には、いっぱい課題がありますが、
歌うことを、心がけてみました。「無理しない」というか、変に力が
入らないようにしてみたら、なんだかいい感じです。
8月1日(日)
バイオリンの先生をしのんで、教わった曲を弾いてみようと
思っているのに、なかなかバイオリンのケースを開ける気力が
出ません。長いこと弾いていないので、弦が切れているかも
しれません。指使いも、ボウイング(弓使い)もぼろぼろで、聞くに
堪えない音になってしまって、リハビリには、時間がかかりそうです。
一方、体で覚えている部分もあるのだし、楽しいかもしれないです。
弾いてあげないと、楽器がかわいそう。浮かばれません。
と言うわけで、明日は、がんばろう!
7月28日(水)
高校生時代から習っていた、バイオリンの先生の訃報を
聞きました。去年、お見舞いに伺ったのが、最後になってしまい
ました。ご冥福を心よりお祈りいたします。
音大受験をせず、趣味でバイオリンをやっていくと決めた
私にも、優しく厳しくご指導くださいました。レッスンの後も、
いろいろお話したりして、時間超過になるのが、いつものことでした。
オーケストラ出身の先生で、アンサンブルがお好きで、二人で
バルトークの二重奏曲集を合わせたのも、楽しい思い出です。
恰幅のいい女の先生で、結婚と同時に家庭に入られ、大勢の教え子
を育てて来られました。
7月24日(土)
2年前にネコの写真を1枚撮っただけで、棚上げになっていた
私のデジカメですが、今日は、一念発起して、2枚写し、
USBでパソコンに取り込んで、スライドショーが出来るところまで
こぎつけました。「私にも出来たんだ」と、大感激でした。
メールに添付したり、HPに載せたりは、まだ時間がかかりそうです。
楽しみながら、慣れていこうと思います。
7月21日(水)
きのう、マドリードで、フラメンコのアントニオ・ガデスが
亡くなりました。67才でした。映画「カルメン」、「血の婚礼」、
「恋は魔術師」が、鮮烈に記憶に残っています。特に、外国人の
イメージではなく、スペイン人による”カルメン”は、多くの人に
見ていただきたいです。(仲間と見に行った時が、なつかしいです。)
だんだん、知っている人が亡くなっていく寂しさは、年齢のせい
でしょうね。
7月18日(日)
ジェンキンスさん、曽我ひとみさん、美花さん、ブリンダさんの
一家4人が、夕方、日本に帰国・来日されました。
ジェンキンスさんの病状が予想以上に重かったための緊急入院が
理由ですが、健康状態がよくなれば、訴追は避けられず、アメリカ側
との合意はまだ得られていないようです。
ジャカルタ離陸の時、ジェンキンスさんは、もう北朝鮮のバッジを
外していました。娘さんたちは、バッジをつけていましたが、羽田到着の
時には、代わりに、拉致被害者の帰国を願う青いリボンが、胸にありました。
7月12日(月)
きのうは、参院選の投票に行きました。関東地方の投票率は、
50%台だそうです。結果は、自民党が苦戦して、改選前の50議席を
わずかに割り込み、民主党が躍進しました。公明は、議席数維持、
共産、社民は厳しい結果でした。2大政党への動き、ということが
言われていますが、日本でもそうなるのでしょうか。
DIARY~その17~
2004年
7月10日(土)
きのうの夜、曽我ひとみさん一家が、ジャカルタの空港で、
涙の再会を果たし、市内のホテルに落ち着かれました。
北朝鮮とインドネシア両国の協力に感謝。これからが大変で
しょうが、家族そろって、乗り越えていけると思います。
7月7日(水)
今夜は七夕。例年になく、珍しく星空です。
でも、目が悪いせいか、星は見えるのですが、白鳥座が、
星座の形になって見えて来ません。それで、彦星、織姫も、
どこにいるのかわからないままです。
7月5日(月)
おとといの土曜日、ごく近い身内で、父の七回忌の食事会をしました。
亡くなった時の悲しみは、自然に薄れて、それぞれが、今の時を
一生懸命生きていることがわかったような気がします。
父と、天国で再会できたらなと思います。
今日は、曽我ひとみさんの家族再会が、「9日に、インドネシアの
ジャカルタで」、というニュースを聞きました。参院選前に実現して、
よかったです。もうすぐです。
6月28日(月)
去年、買ってきたサボテンに、今年も、かわいらしいローズピンクの
花が咲いています。乾かし気味に育てたせいか、すっかり本体が
スリムになって、小さい鉢に植え替えました。とげのまわりは、白い
羽毛のようになっていて、花の色との対比が美しいです。
今日は、イラクの主権移譲が、米英の暫定占領当局(CPA)から
イラク暫定政権へ、前倒しで行われました。前途多難かもしれませんが、
イラク人の国家の新しい出発、おめでとうございます。
6月18日(金)
曽我ひとみさんの家族再会は、インドネシア(バリ島)案が、
検討されているそうです。日本に住めるのが一番いいような気がして、
先日の日米首脳会談で、ブッシュ大統領が一家の境遇に「理解と
同情を示した」と報じられた時には、少し希望を持ってしまいました。
その後、ニュース解説で、これは、日本側が、アメリカの姿勢
(ジェンキンス氏の脱走兵としての訴追の免除はできないという)を
受け入れて、そういう話に持って行ったと知りました。外交の交渉の
難しさを、思い知りました。
5月26日(水)
”Yahoo!天気情報”の桜開花情報で、最近、北海道を見ています。
今、「満開・見頃」の名所が、「滝上公園芝ざくら」、「別保公園」、「春採公園」
の3ヶ所、「まだ咲いていない」名所が、「旭岳温泉自然探勝路」と
なっています。桜が遅く咲くのですね。どんな土地でしょうか。
行ってみたいなと思いました。
5月24日(月)
町を歩いていたら、もう紫陽花が咲いていました。
おとといは、日朝首脳会談が平壌で開かれ、蓮池薫さんご夫妻・
地村保志さんご夫妻の5人の子供さんたちが、小泉首相と一緒に
帰ってこられました。曽我ひとみさんのご夫君と子供さんたちは帰れず、
第三国で会えるよう、調整中です。
拉致被害者の方々の、本当に厳しい人生を思います。また、今回、
安否不明の10人の再調査で、いい結果が聞きたいです。
日朝間で、「敵対から友好へ、対立から協力へ」の言葉どおりの未来が
開かれますように、祈ります。
5月17日(月)
先日、家の区域でも、光ファイバーインターネット(Bフレッツ)
受付開始という、NTTのダイレクトメールが入りました。
ずっと先のことだろうと考えていましたが、いよいよです。
月々の経費を考えると、今のADSL8Mbpsのままでいいように
思います。断然安いですし、速度もまあまあです。(リンク速度で、
下り960kbps、上り704kbps出ています。)
でも、いざ、光が来るとなると、心が揺れます。
DIARY~その16~
2004年
5月10日(月)
プリンターの不具合に、悩まされていました。
ノズルチェックパターンを印刷しても、黒と黄色が出ないのです。
(まるで、「クラリネットをこわしちゃった」の歌のよう・・・。)
メーカー持込修理まで覚悟して、マニュアルの通り、BJカートリッジを
買ってきて交換したら、新品同様にきれいに印刷できるようになりました!
インクは、前のが使えました。「プリントヘッドの消耗」だったようです。
故障かと思って、損をしました。(ドライバのアンインストール・再インストール
までした私って・・・?)。使う回数は多くなく、3年間で交換でした。
5月2日(日)
ホームページの文章の、行間を広げてみました。
スタイルシートというのをかじって、とりあえず120%に設定しました。
少し、読みやすくなったでしょうか。
4月30日(金)
ホームページを始めてから、今日で3周年になります。
つたないページを見てくださった方々に、心から御礼申し上げます。
自分なりには、様々な収穫がありました。例えば、ネット上に自分の
文章(内面)を載せるというのは、かなりエネルギーがいります。
何を書こうか、普段から考えていて、アイディアが見つかった時は、
とても嬉しいです。俳句を作る人が、「一句出来た」という時に、通じる
のではと思います。次の課題は、もう少し推敲(すいこう)することと、
コンテンツを深めること、幅をひろげることです。
4月20日(火)
今日は、友人と鎌倉でハイキングしました。まだ行ったことのなかった
報国寺(竹の寺)まで、観光地図を見ながら、駅から歩きました。(25分位。)
成長した竹林、根元にいろんな高さのタケノコ、静かな葉音のそよぎと、
幽玄な雰囲気に包まれました。茶席で、お抹茶を久しぶりでいただきました。
帰ってから、顔がぴりぴりして、ほてっています。ちょっと、日焼けしたようです。
4月19日(月)
「積ん読」していた、現代史の本を読み始めています。イラクの章を
読みました。「なるほど、そうだったのか!」と目を開かれた反面、
ちがう立場から書いたら、またちがう内容になると思い、それも
確認したいです。私の立場は、国際社会の一員である日本の国民で
ありたい、というところです。
(「そうだったのか!現代史 パート2」池上彰・著
発行:ホーム社・発売:集英社)。
4月17日(土)
イラクで、残る2人の日本人人質が、解放されました。
とにかく、よかったです。ほっとしました。
イラクに、1日も早く、平和が訪れますように!
4月15日(木)
イラクで、日本人人質3人が、解放されました。1週間は長かった
です。同じように誘拐されたイタリア人4人のうち、1人が殺されたのと、
明暗を分けました。政府の外交努力は、大変なものだったと思います。
ただ、あと2人の日本人が、新しく拉致されています。人質をとって脅迫する
やり方は、卑劣で、許せませんが、退避勧告を無視した側にも、賛成は
できません。